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まちがえるということ

 投稿者:笹原啓一  投稿日:2012年 3月15日(木)06時57分46秒
返信・引用
  「たのしい授業」という雑誌に、「間違える権利の発見」という題で板倉聖宣先生が書いている内容がおもしろかったので、次回の研究会に資料としてもっていきたいと想います。斉藤喜博先生との「子どもが間違えること」に対する考え方の違いがわかって、昔から教師は子どもが間違えないように、間違えたらすぐ正すように授業をつくってきたんだなあと思いました。まちがいの中に、どれだけ豊かな学びが隠されているかという考え方で、授業が作れればと思います。  
 

授業づくりと学力について

 投稿者:笹原啓一メール  投稿日:2012年 3月 3日(土)20時06分13秒
返信・引用
  教師が説明し、説明された内容を児童・生徒が理解する。理解ができたかどうかを確かめるために、また、知識の内容を定着させるためにたくさんの問題を解かせる。授業研究では、教師の説明がいかに優れたものであるかをみる、そういうことがたくさん行われてきましたし、今も行われていると思います。しかし、知識伝達型授業では、知識中心の学力も、今の変化の激しい社会で必要とされる学力も、なかなか身に付かないだろうと考えます。というのは、知識伝達ということは、児童・生徒が受け身であり、いわゆる強いられる勉強をすることが求められており、児童・生徒が主体的に考え、それを交流し、さまざまな考えに触れ、その中から学び取っていく「学び」が成立しにくいからです。もっとたいへんだと思うのは、知識を注入される授業では、子ども一人一人が分断され、「わからない」ということが言えない教室になりがちだということです。へたに「わからない」などと言ったら、まわりの子どもからバカにされる、そのため教室の中で子どもはバカにされまいとじっとしている、そんなことになってくると思います。こんな中で、学力はつきません。それどころか、さまざまなストレスや不信感が生まれ、問題行動が出やすい教室、学校になる可能性があります。協同の学び、学び合う学び、協同学習、さまざまな名前で言われていますが、子ども同士が支え合い、一緒に教材に没頭する、そんな授業が、学力をつくっていきます。いろいろな実践でそれが証明されていますし、本や文献で紹介されています。ただ、そういう授業を学校全体で創るのはなかなか難しいことではあります。授業を変えるだけでなく、学校経営を変えていかないとできません。研究主任よりも、校長の役割が大きいと思います。浜之郷小学校で大瀬校長が、一役一人制を行い、会議のたいへん少ない学校を作っていったことでもそれがわかります。最上で、「学びあい」の授業づくりを目指すことで学力向上の成果をあげる、チャレンジする学校が出てくれたらなと思います。ただし、学力向上を目的とした授業づくりをしないこと。あくまでも、「学びあい」の授業が成立してくると、副次的に学力があがる(全国学力調査のA問題も、B問題も得点が高くなる)と思って授業づくりをしていくといいと思います。
 

研究主任はがんばって

 投稿者:高橋 晋作  投稿日:2012年 3月 2日(金)18時59分52秒
返信・引用
  学校経営反省の時期でしょう。共同の学びを実践していると、一部の同僚から批判的なコメントが出てくるものです。一番は、この研究をやって、学力があがるのか?という意味合いのコメントですね。だいたい、経験年数の長い世代の教員からが多いです。どうします?私は大体、黙って言いたいことを言わせます。そうすると、それに対する反論も出てきますが、力が弱いですね。あまりですね、この手とは議論がかみ合わないのです。どうしてかというと、「学力」のとらえ方自体がずれているからです。テストの点数の向上が学力の向上という考え方であるならば、テストもそれなりに吟味したものでなくてはなりませんが、そういう批判的な方に限って、昨年と同じテストを繰り返し出す。そこを指摘しても不毛の水掛け論です。黙っていた方が賢明です。それよりも、授業研究会の回数を増やすことに力を注いだらどうでしょう。そのような先生方には、点数があがるような授業というのを公開してもらうとよいでしょう。たぶん、生徒は集中していません。
共同の学びを実践している教室で、難しいのは、共同の学びを実践していない教室で学びが崩壊していくということです。小学校は担任がほとんどの教科を指導するので、ダメージは少ないです。学級格差は起きるかもしれませんが。中学校は、ダメージは大きいです。経験上、生徒は「共同の学び」を意識している先生の授業は楽しんで参加します。ただ、一方で、従来通りの一斉学習しかできない授業では、学びから離れやすくなってしまいます。上述した教師たちは、それを生徒の方に問題があると考え、そして、共同の学びのような学習スタイルを受け入れようとしないのです。これは、どこでも起きます。
研究主任の方は、忍の字で、それでもそのような同僚の言い分を聞きながら研究を続けていきましょう。
なんでもそうですが、すべての人が納得する研究はないでしょう。大切なのは社会がどのような人間を受け入れようとしているかということです。高卒、大卒でも、非正規の立場で働くことが当たり前の社会になりました。卒業後から正規社員ということが当たり前ではなくなったのです。非正規社員の立場で、正規社員になることを努力して獲得していく社会の到来です。そんな社会で、どんな人間が非正規から正規に上がれるのでしょう。それは、答えを知っているのではなく、問題を見つけて、チームプレーで解決する人間なのです。まさに社会全体が学びの共同体の精神の人間が必要とされています。それこそが新学力なのです。キャリア教育も考えた方がいいですね。これまでは、夢を持て、自分の好きなことを見つけろというキャリア教育でしたが、それでいいのでしょうか?わたしは、もっと社会の厳しい現状を知ることがキャリア教育になってくると思います。厳しい現状を知り、その中で自分の生き方を見つけさせないといけません。時に自分が働きたくない場所で働くこともあるでしょう。その時は、どうやって、今の現状を乗り越えて、自分のやりたいことに近づくか、その課題を解決するための力が、キャリア教育でつける力かもしれません。

いろいろ思いを書きましたが、みなさんの考えはどうでしょう?


 

第4回研究会について

 投稿者:笹原啓一メール  投稿日:2012年 2月27日(月)07時09分22秒
返信・引用
  昨日の研究会、ありがとうございました。参加された方々からいろいろな考えを聞けておもしろいし、うれしい限りです。いろいろな話をしていると、自分の抱えている仕事のことも忘れ、本当に楽しい時間を過ごしているなと感じます。保科先生から、石井順治先生の講演のCDをいただき、聞くことができました。「学びあう学び」とはどんな授業なのか、なぜ「学びあう学び」が大切なのかがよくわかりますし、自分たちがやろうとしている授業づくりの大切さを大事にしていこうという気持ちになります。この研究会で、情報交換が行われ、このCDをいただいたり、ETVで「学び」の授業づくりを見ることができるなど、自分にとってたいへん有意義なことが起こっています。これからもよろしくお願いします。
なお、CDについては、保科先生に連絡すると配付していただけますよ。
 

(無題)

 投稿者:笹原啓一メール  投稿日:2012年 2月22日(水)22時41分21秒
返信・引用
  11月におこなわれた特別活動(いのちの学習)の授業でした。生徒のいろいろな考えや思いがだされておもしろい授業でした。  

Re: (無題)

 投稿者:会員  投稿日:2012年 2月20日(月)13時23分38秒
返信・引用
  > No.14[元記事へ]

戸沢中のこの授業は、何の教科の授業なのですか?

http://zaggas379.blogspot.com/2008/06/1950.html

 

(無題)

 投稿者:笹原啓一メール  投稿日:2012年 2月20日(月)07時06分8秒
返信・引用
  今日の山形新聞に、江間先生が書かれた記事が載っていました。戸沢中で行われた授業で、私も参観させていただきました。胎盤とつながれたへその緒の中の血は、誰の血か?という教師の問いに、生徒たちは自分たちの知っていることなどを出し合い、いろいろなことを考え納得していました。記事にも書かれていたように、教師が答えを教えれば5分で終わる内容だと思います。でも、生徒たちは、知恵を絞り出し合うことで、さまざまなことを考えたと思います。「ああ、そうか。」「それ、すごい!」とか、様々なつぶやきが見られました。深い内容が身に付いたと思います。協同(協働:コラボレート)で授業がこんなに深まるんだなあと感心しました。生徒達も、誰一人として不参加の人はなく、いい雰囲気でした。戸沢中はビデオを持っていると思いますよ。  

羅生門的アプローチとは

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月14日(火)17時42分17秒
返信・引用
  日本にクロサワあり、と西欧に知らしめた作品、それが映画「羅生門」。映画「羅生門」は、芥川の小説『羅生門』(きっと国語の教科書で習ったことがあるはず)の設定から「羅生門の下で話をする」部分だけ借りてきている。そして男たちが門の下で話す内容が芥川の別の小説『藪の中』のストーリイなのである。なかなか、ややこしい話ではあるが、要はこの映画の原作は芥川の『藪の中』なのだ。

 この作品、日本ではあまりはやらなかったが、海外の映画祭で絶賛(ヴェネツィア映画祭でグランプリを受賞)された。教育界にも影響があり、教授法として「羅生門的アプローチ」と命名されているものがある。この命名、私も教育学部に入ってからの疑問であったが、ようやく晴れた。「人によって見方が違う、やり方が違う」ということを、非常に比喩的にまとめた言葉であったのだ。



映画の内容。山奥で、男の死体が見つかる。この殺人事件に関わった人物が、検非違使、今でいう裁判所で、次々証言していく。「私が男を殺した」という人物が二人もいる。ありえないことだが、「殺された男」までも、霊媒師の口を借りて証言するのだからレベルが高い。そしてその証言が、互いに食い違う。丁寧に、その証言に合わせて映像を作っている。事件関係者の性格が、語る人次第で別のものとなる。

原作では「殺された男が真実を語っている」ように読めるのだが、映画はもっと凝っている。「人間は自分自身にさえ、白状しないものだ」、「人は都合のいい嘘を本当と思う。そのほうが楽だからだ」等々、登場人物たちの発言も面白い。案外人間の記憶はあてにならないことが示されていく。

果たして男を殺したのは誰なのか。そしてどういう経緯で犯行がおこなわれたのか。真実が明らかになった後、事件関係者たちの発言を振り返れば、どの人物の発言にも一定の真実があったことに気づける。

あるサイトから引用させてもらいました。

http://zaggas379.blogspot.com/2008/06/1950.html

 

Re: 羅生門的接近

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月14日(火)09時22分37秒
返信・引用
  > No.10[元記事へ]

経験年数に比例した発言力がどの学校にもよく見受けられます。でも、この羅生門的接近を会員皆が意識していれば、経験年数と発言力は決して重さに偏りはでないはずです。私もよく、若い先生方が、これまでにない角度からの話題を提供してくれて、話し合いが盛り上がった経験が数多くあります。授業は特に瞬時の判断ですので、経験の差は否めないですが、ビデオを通して感じたことの差はないと思っています。この会は、経験の幅が広い分、授業の見方も多角的になれる可能性を秘めています。
 

羅生門的接近

 投稿者:笹原啓一メール  投稿日:2012年 2月14日(火)06時00分45秒
返信・引用
  第3回の研究会で配付した資料の中に、授業の見方として、佐藤学先生が「羅生門的接近」とう言葉をつかっています。授業は、「ああも見える」「こうも見える」、それを事後研究で参加者が交流することで、より深く授業を見ることができるという考え方だと解釈しています。授業の見方に正解はない(不正解もない)という考え方で、みんなが自分の見方を事後研で出せればいいなと思っています。実際、他の人の発言を聞いて、「そうなんだ。そういうふうに見れるんだ。」と思ったり、「子どもがそんな表情(や動き)をしていたんだ。」と気づかされたり、毎回の事後研究が楽しかった経験があります。そんな事後研を通して、子どもたちへの温かい目(温かさ)が教師側に育つと、学校が柔らかな雰囲気になるなと思っています。  

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